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祖父のはなし-最後の挨拶-

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祖父のはなし-最後の挨拶-

こんにちは、ギンジローです。

すっかり春・・・を通り越して初夏のような気温の今日この頃。

桜もほとんど散ってしまいましたが、みなさまいかがお過ごしですか。

前回、祖父が母に送った鏡台について触れ、久しぶりに思い出したので今日はそのお話をしようと思います。

母方の祖父は私が高校生の時に亡くなりました。

母方の実家は、愛媛の西端、佐田岬半島にあります。

子供のころの旅行といえば、母の実家に帰省するのがお決まりのパターン。

自然豊かな田舎で、海もすぐそばにあり、毎日祖父と釣りに行くのが最大の楽しみでした。

祖父は大工で器用な人でしたので、子供用の竿も手作り。

釣りをするにはまず、海岸でゴカイを掘るところからはじまります。

これも祖父手作りの、木製のエサ箱に採ったゴカイを入れ、釣りに行きます。

(たまにサビキ釣りもしましたが、大抵は一本釣り。)

釣れた魚を針からはずしたり、絡まったり切れた糸を直したり、黙々と私たち姉妹の釣りの世話をしてくれた祖父。

決して口数は多くありませんが、穏やかで優しい目をした人でした。

やがて私たちが大きくなるにつれ、学校や部活、受験などで帰省する機会も徐々に減っていきました。

そして私が高3の冬、祖父は体調を崩して入院しました。

肺癌だと分かり、状態は芳しくありません。

長女だった母はひとり帰省し、病院でしばらく祖父の付き添いをしていました。

そんなある日。

高校から自転車で家の近くまで帰ってきたとき、突然私の視界の隅に祖父の姿が映りました。

私は驚いて振り返り、バランスを崩して他家の生垣に右腕を突っ込みながら急ブレーキで止まりました。

そこにはもう誰もいません。

でも、あれは。

冬になるといつも着ていた藍色のカツオ縞の半纏を着て立っていたのは、まぎれもなく祖父でした。

そして、家に帰ると、母から電話がありました。

それは祖父の危篤を知らせるものでした。

ああ、やっぱり。

私は驚きませんでした。

そしてその夜、祖父は亡くなりました。

おじいちゃん、最後に会いに来てくれたんだ。ありがとう。

祖父のことですから、きっと姉にも会いに行ったのでしょうが、姉は気付かなかったようです。

会えてよかった。

分かってよかった。

霊感があって良かったと、私は生まれて初めて思いました。

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