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市松人形

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市松人形

こんにちは、ギンジローです。

3月半ばになり、すっかり春めいてきましたね。
もう過ぎてしまいましたが、3月といえば桃の節句。
今日は私の市松人形さんのお話をしようと思います。

UnsplashSandra Obererが撮影した写真

私は2人姉妹で、姉が1人います。
霊感の強い義兄は、この姉の旦那さんです。
ちなみに姉は全く霊感がありません。

実家のお雛さまは姉ので、私のは市松人形さんでした。

8年前、母が急逝し、実家を片付けなければならなくなりました。
(父は私が子供の時に亡くなっていて、母は独り暮らしでした。)
実家は団地で、片付けが終われば引き渡さないといけません。
私たち姉妹が譲り受けるもの以外はすべて処分しなければなりません。
思い出深いお雛さまも市松人形さんも、人形供養に出すことにしました。

実家を少しずつ片付けていく中、久しぶりにお雛さまと市松人形さんを出すと、
みな沈んだ面持ちをしていました。

母がもういないことを分かっている感じでした。

そして、自分たちがどうなるかも分かっているのでしょう。
それが仕方のないことだとも。

とにかく、悲しそうだったのです。

せめて。
と、供養に出す日まで、私はお雛さまと市松人形さんを飾っておくことにしました。

ある時、片付けを手伝いに来てくれた義兄に彼らを飾っている理由を伝えました。

義兄は

「確かになあ。この子がみんなをなだめてくれてるんやけどなあ・・・」

と、私の市松人形さんにむかって言いました。

UnsplashYang🙋‍♂️🙏❤️ Songが撮影した写真

初夏のある日、私の長女が

「柳生に行きたい。」

と言い出しました。

柳生は奈良市の東部山間エリアの町で、柳生新陰流剣術で知られた剣豪柳生一族の里です。
柳生石舟斎や宗矩、十兵衛の名を聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

当時長女は中学2年生。
剣道部で、柳生の正木坂剣禅道場に試合や合宿で行ったことがありましたが、一度プライベートでゆっくり行きたいと思っていたようです。

それまで仕事の時など何かとうちに来て助けてくれていた母がいなくなり、私は仕事とお寺さんのことや実家の守りで不在がち。
部活を休ませて下の子をみてもらったりと、長女にはかなり負担をかけていました。

たまには長女のお願いを聞こう-

そして、

そうだ、そのお出掛けに市松さんも連れて行こう-

遠路、柳生を目指し、私は車を走らせました。

旧柳生藩陣屋跡や旧柳生藩家老屋敷、芳徳禅寺、天乃石立神社、そして柳生石舟斎が天狗との試合で一刀両断に断ち切ったという一刀石などなど。
3人でゆっくり柳生を回りました。

景色が見えるよう顔を出して鞄に市松さんを入れて歩く私の姿は、異様だったかもしれません。
(当たり前ですが、かなり年季の入った市松さんでしたし)

それでも、初めて見る外の世界に、市松さんが目をキラキラさせて楽しんでいるのが分かりました。
ワクワクが止まらない、みたいな(笑)

「あー、楽しかったね。」

帰り道、私は二人に言いました。

実家に戻ってきたとき、市松さんは少し名残惜しそうでしたが、色々と吹っ切れたようでした。
お顔が、すっきりして、かつ凛とした表情になっていました。

きっとお雛さまたちにお話しするんだろうな。
お雛さまたちも連れていければ良かったのだけれど、ごめんね。
代表で市松さんに行ってもらったからね。

それからほどなくして、正暦寺で人形供養していただきました。

UnsplashArchee Lalが撮影した写真

大切なひとやものたちとの別れはつらいですが、いつかは来ることでもあります。

人や動物と同じように、植物やものたちにも意思や感情がある、と私は思っています。

それを言葉や行動で表せないだけで。

でも、受け取ることは、できる。
そして、心に刻んでおくこともできる。

今日は母の命日。
母のことも、実家のことも、今はもうない懐かしいものたちのことも、いろいろ思い出す日です。




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